安定しているのである。
下記の日記の如く、少々盛り上がったりはしたものの、
内縁者の件と法事の打ち合わせが被り、更に自分にとっての安定剤用人間が不在である。
と云う、落ち込むには持って来いの役者達が揃ったにも関わらず、


急降下に至らないのである。
乗ってるのが今までのようなテンションの“波”では無く“雲”だからなのか。
下降してはいるんだろうが、それを感じない。
宗教に興味は無く霊だの残留思念だのも日常には無関係なのだが、
さすがに親が草葉の陰から「頼むから法事をやってくれ」と自分を守ってくれていると確信に至る。
生きてる時も死ぬ時も、そして死んだ後でまで、実に子供孝行な両親だ。


法事なんてやりたくない。と親戚に話し、世間が許さない常識が無いと非難を浴び。
他の親戚よりは自分の状態を把握している従兄が間に入ってくれ。
「やりゃぁいいんでしょ。やりますよ」
とイヤな暴言を吐いてから約1週間。
公私共に忙しい中、従兄が尽力し手続きの殆どを代行してくれ、どうやら予定日に行えそうだ。
これでもう従兄には頭が上がりません。


やりたくないと言っていた当初の締め付けられるような深く鋭い重さは解け、とても穏やかな気分。
息が楽。
シアワセ方向に浮いていた“雲”は、実は既に着地しているのかもしれない。しかし、イヤだったはずの地面が不快ではない。
少し重力の加わった安定感。
まっすぐ前を向いて溜息が付ける。
法事が終わるまでは、何があっても大丈夫。という包み込むような根拠の自信がある。



この状態の
きっかけをくれた兄に。
持続と力をくれた親に。
援護をくれた従兄に。
ヤケという刺激をくれた親戚に。
心からありがとう。