人生(大きく出たな)の中で最悪の事は母親を失うこと。
そしてそれはもう済んだ。


今は塀の中に居る内縁者(他称)がシャバに出てくるのが来年だったか再来年だったかは忘れたがとにかく近々片が付く。


なるべく先のことが良いけれど同居猫ハナが居なくなる日も必ず来る。



そうしたらどうしようか。


この家には先が無い。
家にある『思い出』を歴史として眺めたり、繋げ増やす人間を作る気が無いからだ。
葬儀後、従兄が会計士に「あいつの事だからあの家を売ってどこかへ行くと言うかもしれない。そうしたら待ったを掛けておいてくれ」と頼んだらしい。
だったら、中身も丸ごと従兄に譲ろうか。と考える。
従兄には子供が居る。先が有るのだ。
家を潰すには片付けをしなければならず、膨大な量であるが故に手間も金もかかる。
それをしなくて良いのなら、そんな有りがたい話は無い。


問題は自分の思い入れだけなんだ。
自分さえ吹っ切れれば事は単純明快で、この家を守るのは自分でなくても構わない。『思い出』を大切にしてくれる人が住んでいれば、そしてそれがずっと続いていけば、それに越したことは無い。
おそらく自分より従兄の方が、大切に扱ってくれるだろう。


自分を唯一無二として必要としてくれていた人はもう居ない。
仕事にしろ、プライベートにしろ、自分が抜けた事でしばらくの間は迷惑をかけたり不便を感じさせたりするかもしれないが、いずれ別の人がその場所を埋める。


だから自由なはずなんだ。
この家に住んでいることに固執する必要は無いはずなんだ。
なのに自分はここに居る。
女々しい限りだ。

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有り難い事に自分の事が必要だと。代わりは居ないとさえ言ってくれた人が居る。
でもその人と自分は他人であり、縁有って出会っただけの人だ。
縁が無ければその人は、今も自分とは無関係であり自分の存在すら知らず日々を送っているだろう。
関わりを持った今となっては修整は面倒かもしれないが、代わりが居ないはずは無い。