1930年代のアルゼンチンタンゴ

たまに行く食事処の店長は、『楽しく生きる』をモットーに真っ赤なフェラーリで法定速度、安全運転を心掛ける、上品な物腰のモダンな78歳(だったと思う)
客との交流もメニューの一部とし、サービス精神に溢れている。
18時になるとスナックに切り変わり、店主は雰囲気が正反対な奥様に交代される。


店内には所狭しと旅先の土産物が展示され、丁寧に並べられたマッチ箱やビールラベルが額に収まっている。
愛想の良い老犬が接客補佐を務め、隣の席や膝の上で客の御機嫌を伺ってくれる。
出てくるのはカレー、飲み物はコーヒー。
具材や、豆の種類を客が選ぶ必要は無い。
「お味はいかがですか」と辛さを問い、こちらがどう答えても「これが一番美味しいんですよ」とにこやかに返す。「コーヒーは、ブラックが お宜しいかと思いますよ」と“余計なもの”は薦めない。
押し付けがましさは感じられず、味も好みには反さないので、すこぶる居心地が良い。


「今日はとても良い物があるんです」と山形の煎餅を出してくれた。好きか嫌いかなんて野暮な事は尋ねない。良いものは良いのだ。
時間によってはカレーが切れてしまっている時もある。
「あまり沢山用意しないんです」
その時にはサンドイッチを作ってくれる。中身が何かなんてこちらも聞かないし、店長も言わない。そして、全くのプレーンが出てくる。
バターをたっぷり塗って、程よく焼いたパン。それってトーストじゃん、なんて言ってはいけない。それは“サンドイッチ”なのだから。



店内に居た常連客が、カセットをかけた。おそらく店長と同年代と見られるその客は、プランデーを片手に誰に断わることも無く、ゆっくりとリモコンでテレビの音を消した。
流れてきたのはタンゴ。
数あるコレクションの中から、お気に入りをテープに落とし、“キープ”しているらしい。
「SPです。最近は無いでしょう?」とこちらを向いて話しかけてきた。
レコード特有のノイズが心地良い。後に「スクラッチって言うんですよ」と御指南を頂いた。


店内の雰囲気も相まって、すっかり時代が逆行した。
再現されたものではなく、その時の音。深みがあり、スクラッチ・ノイズまでもが音の世界に溶け込んでいる。
その常連客の口も滑らかになる。
「このボコボコって音はね、レコードの樹脂原料が足りなくて古いのを砕いて伸ばしたんだけれどそれでも薄くて、間にボール紙を挟んだんですよ。それが年月が経って部分的に膨らんでしまってね、レコードが歪んでしまったからこんな音が出るんです」


曲目のリストを見せてくれながら、背景事情はもとより演奏者の経歴を訥々と語る。悲しいかな自分にはそれらの端々すらも初耳で、只々頷き感嘆するだけだった。
せっかくの知識を素通りさせてしまうと無知を恥じていたら、いつの間にか傍に来ていた店長が「少しでも興味を持っていただける人に伝えられる事も嬉しいし楽しみの一つでもあるのです」と微笑んだ。上流階級邸宅の執事の様に。


それほどの薀蓄をお持ちなら、御本になさらなければ勿体無い様だと話したら、その予定なのだと。話を進めていた知人の編集長は死んでしまったが企画は残っており、原稿も書いているのだという。
「テープをダビングして、原稿のコピーもあげますよ」と有難いお言葉。
店長は「これであと一回はこの店に来なくてはなりませんね」と片目をつぶり、いたずらっぽく笑った。