死ねないから、生きている。

兄の親御さんが癌であり、摘出手術をしたと聞いたとき。
寝たきりに近かった母親を見殺しにした数ヶ月後、家に帰ったら父親が死んでい自分には、「これからは出来るだけ実家に顔を出した方が良い」としか言えなかった。
後悔は少ないに越したことは無いから。


自分が健康であること。そしてそれを無駄にしていること。
それが申し訳なくて、取り替えられるものなら、引き受けられるものなら自分の命なんて要らないと思った。


還元しようとして介護の仕事を始め、それでいながら何もしなくて、体の変化に気付こうともしなくて、自分の全てだった人が死んで。
母が死ぬ時には、その場で自分も喉を掻き切れると思っていた。
でも、一滴の涙も出なかった。
「これ以上は延命処置です。人工透析のスイッチを切りますか」
との医師の問いに、
「あ、切っちゃってください。この人、延命は望んでいませんでしたから。スパゲティサイボーグになってる今の状態をもし本人が知ったら、私は怒られます」
あっさり言った。
その時の父親の表情は知らない。見たくも無かった。
死後処置にも立ち合わせてもらった。まだ温もりのある母親が、どんどん死体になっていった。
背中には大きな褥瘡が出来ていた。
「ごめんなさいね」
と看護婦が言った。
「いいっすよ。もう痛みなんて感じませんから。ガーゼでも張っておいて下さい。後は焼いちゃうだけですから。それに背中だし。棺に入っちゃうんですから判んないですよ」


もう痛くて苦しむことも無い。辛くて、でも泣き言もいえなくて愚痴を言う相手もいないまま淋しい思いをすることも無い。
やっと、やっと自分の重くて自由の利かない体から解放されたんだと思いたかった。
頑張ってくれてありがとう。
今まで生きててくれてありがとう。
それから数ヶ月間。一粒の涙も出なかった。


母親が居なくなった以上、父親と喧嘩をしても悲しむ人は居なくなった。
言いたい事を言い、したいことをした。
呆けたら施設に突っ込んでやると思っていた父が、11ヵ月後、居間で脳内出血で死んでいた。
“救急車に死体は乗せてくれない”
迷わず110に電話をした時、施設に勤めてて良かったと思った。



自分が生きていられるのが不思議だった。何と薄情なと自分を責めた。
兄が傍にいてくれてなかったら、間違いなく今の自分は無い。


一生のうち最悪の事はもう済んだ。最低の事もやった。
今は余生を過ごしている。


何のために生きているのか。
死ぬタイミングを逃したのかもしれない。