日没まで一緒/いってらしゃい

母に関する足踏みは、地固めかもしれない。と思い当たる。
にぃちゃんの定義する“ ”と、私の持つ“ ”像に差が有り過ぎたら、いずれトラブルの元かなと思って把握しておきたかった。んだけど、にぃちゃんのは“現状に於いての造語”で、私のは“期待の概括”である事と知るに留まる。にぃちゃんにとって私が「思い出すのを忘れるくらい浸透している」存在なのか、「必要な時しか思い出さない」存在なのかは判別できない。けど、私にとってはきっと「どっちでも同じ事」なのだと思う。